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Posted by naturum at

2020年08月31日

行く夏を惜しむBBQの夕べ2020


また今年も、開田高原へとやってまいりました。 このイベントタイトル「行く夏を惜しむ…」の通り、例年は涼しくなる時期なのですが、今年はアツい。 標高千メートルをこえたところで30℃以上の暑さです。 今年は「行ってくれない夏」だったみたいですね。


[初めて晴天の御嶽山です!!]


[大好きな蕎麦の元ですね]

今年は、テンカラ大王の弟子のTさん(私はTさんとご縁が多いですね)とご一緒させていただきました。 石垣流テンカラの東海と関東コラボレーションです。 先にTさんが良い形のイワナをたて続けに2匹釣り上げました。 私も負けじと釣れたのは、ヤマトっぽい六寸程度のイワナです。 少し気が楽になり、登ると良さそうなポイントが見えました。 少し流すと、魚が見にきたような影が見えました。 もしかするとと、逆引き強めの扇引きに底の方からバシャッときました。 会心のアタリに、強い引きに尺オーバーに期待しましたが、ネットインすると意外に小さく八寸強のアマゴでした。 この日はコンディションが悪かったため尺以下であっても、出たのではなく出した釣果に満足です。


[若手実力派テンカラ師Tさん]


[Tさんに撮っていただきました!!]


[会心の八寸アマゴ!!]

午後はTさんと共に、石垣先生とベテランKさんに続きました。 少々バラしがありましたが、ベテランKさんの前でもしっかり釣果をあげることができました。 見られていても、確実に釣果があげられるようになったのは、身に付いてきた証しと自分でも評価したくなりますが、取り込みが甘いのか、合わせが甘いのか…。 まだまだ未熟です。

宿に戻ってバーベQなのですが、あるお方に呼び止められました。 そして『タモ網の取り付け方がなってない!』とお叱りの声が掛かりました。 タモの枠をくださったOさんです。 今日のイベントで私にタモ網の取り付け方の説明書をご用意してくれていました。 今年の冬に直します…。
風呂からあがると、バーベQの準備がされています。 毎年、飛騨牛が目立ってます。 今年は健康のために野菜をたくさんいただいたのですが、野菜も新鮮で美味しいですね。 お腹が膨れるとまぶたが重くなります。 騒音元が早く寝るのも悪いと思いつつ、睡魔には勝つことができずに布団へと潜るのでした。


[炎をあげて焼ける飛騨牛]

翌日は朝食をいただいて、帰ることにしました。 前日に良いアマゴが釣れているので、余裕を持って帰るはずでした。 しかし、中央道の大月インターで降りてしまいました。 少し走ると見慣れた小菅川が見えてきました。 小菅川の林道を登ると、いつもの通り入渓場所には車が停まってます。 一応一番上まで見ましたが、全て停まっていました。 仕方がないと下ると、空きを見つけました。 堰堤間が短いところですが、少し遊ぶ分にはちょうど良い距離です。 軽い装備で川へ降り、アタリは一度でしたが、きれいなイワナが見れて満足です。 再び帰路へとつました。


[ちょっと寄り道でなく寄り川?]


[きれいな天然イワナで満足です!!]

また今年も楽しい時間を過ごさせていただきました。 想定外だったのは、30℃オーバーの気温だけですね。 各地で同じように、終わらない夏が続いているのだと思います。 涼しくなる頃には禁漁ですかね。 また今年も寂しくなる日が近づいてきてますね。 あと1ヶ月、悔いのないよう、遊びます!!




テンカラ万歳!!





  

Posted by タツおう at 22:55Comments(13)自然渓流

2020年08月17日

ラバウル戦線異常なし



今回は、テンカラも釣りも渓流も、全く関係が無い書き込みになります。

第二次世界大戦時の司令長官が書いた「ラバウル戦線異状なし」と言う本を少し前に購入しました。 絶版本のため、中古本をAmazonで買いました。 きっかけは、「ゲゲゲの鬼太郎」等の著者である水木しげる先生のニュースの記事を見た際に、水木しげる先生が戦時中にラバウルに行かれていたと知ったからです。 その記事を見て、私の若い頃の記憶が甦りました。



私は現在、四十路を半分越えた程度なので、当然のことながら戦争の体験はありません。 終戦50周年、今から25年前の終戦記念日は、当時勤めていた会社の事務所に出勤していました。 当時に勤めていた会社には、戦後の高度経済成長期を第一線で指揮を取り、一度引退された方々を再雇用する、いわゆる「天下り」の方々がいらっしゃいました。 その終戦50周年の終戦記念日には、戦時を生きた方々が、終戦時に何処にいたかが話題になっていました。 ある方は『赤紙が届き九州の方にいた』とか、『まだ小さく満州から母親と逃げていた』とか、私には学校の授業で教わった単語が飛び交っていました。 そして最高齢の方が『私はラバウルでした』と言いました。 その方は、終戦時に当時の私と同じくらいの年齢で、指揮官をされていたと話してくれました。 その時、私にミサイルの避け方を教えてくださると共に、当時も絶版だった「ラバウル戦線異常なし」が見たいと話しました。

その方には、ミサイルの避け方だけでなく、いろんなことを教わり可愛がっていただいた私です。 必ず見つけ出しましょうと約束しました。 それからは、仕事の外回りでも、古本屋を見かけると必ず聞いてまわり、休日には神田の古本街をローラーをかけたりもしました。 しかし、みつけることができませんでした。 何処を見てもみつからず、仕方がなく図書館を見ると、その本がありました。 返却をしなければいけない本ですが、その方にお見せすると涙ぐんで本を受け取っていただき、返却日いっぱいまで読まれていました。 そして巻末の、ご自身の名前も記載された「ラバウル海軍主要職員(終戦時)」と書かれた名簿の部分のコピーをとられて、『これは自分の墓へ一緒におさめてもらう』と言いました。 その言葉を聞いて私は、購入はできなかったが見つけることができて本当に良かったと、とても嬉しい気持ちでした。

時が流れて25年。 ネットのニュースで読んだ水木しげる先生の記事を見たことで、その当時の記憶が甦り「ラバウル戦線異常なし」を読んでみたいと思いました。 当時の探した苦労は全く無く、スマートフォンで簡単に見つけられ、翌日には自宅に届けられました。 本を読みながら、私が当時の会社を辞めてから連絡を取っていない、その方が元気でいらっしゃることを祈りながら、このような方から教えを受けたこと、可愛がっていただいたことを誇りに思いました。 そして、この事を胸に、これからも一日一日を大切にしながら、頑張っていこうと心に誓うのでした。


  
タグ :その他雑記

Posted by タツおう at 00:24Comments(0)日々雑感

2020年08月11日

山梨小菅川 2020年8月1・2日 ~私をキャンプに連れてって2~



早くもT部長のソロキャンプの送迎がありました。 今回の場所は、奥多摩のすぐ隣の小菅村です。 東京と山梨の県境を越えたところなので、私にとっても近い気軽な場所、ホームリバーのひとつにさせていただいている場所です。 T部長のソロキャンプ同行「私をキャンプに連れてって2」は、この小菅村を舞台に物語が繰り広げられました。


[久しぶり小菅フィッシングビレッジさん]

先ずはテンカラです。 前回は初めてなのに自然渓流で、当然のボウズを食らわせてしまった反省を踏まえて、今回は管理釣場を選択しました。 テンカラ大王を講師にお迎えして、過去五回開催された「小菅川テンカラ教室」のメイン会場になった小菅フィッシングビレッジさんです。 小菅フィッシングビレッジさんさんは、小菅川を利用して、区画を作ったエサ釣りと、ポンドみたいな弛みや自然渓流に近い流れでの疑似餌エリアに分けられた、魚影の濃い管理釣場です。 ここならば、T部長にもテンカラの楽しさをわかっいただけるだろうと、自信を持って向かいました。



首都高を経由して中央道に入ると、速度ゼロまで数度ある渋滞です。 早朝でも中央道は車が多いですね。 あと1時間出発が遅かったら大渋滞に巻き込まれていた中央道をおりて、1時間もかからずに到着した小菅川は、びっくりするくらいの増水中です。 この日に梅雨明けはしたのですが、前日まで毎晩大量の雨が続いたようです。 前回の小菅川よりも、濁りが強く比べられないくらい早い流れです。 小菅川本流を利用した小菅フィッシングビレッジさんも、釣り場は同じく濁りが入った早い流れです。 釣れるかどうか少々不安になりながら、半日券を購入して車で川へとおりていきました。

釣り場は、コンディションが悪くてもお客さんは入ってます。 好きな人は好きですね。 少しキャスティングの復習をしてから、人のいない流れのあるところへと移動をしていきました。 いつもは、ところ狭しに泳いでいる魚も、この日は確認することはできず、ポイントらしきところに毛バリを落としていってもらいました。 すると、流芯の脇の流れの緩いところで、水中での反転が見えました。 『これはいけるかも』と思い、おおよそ同じ場所に毛バリを落としてもらいました。 そして『アタリッ!』合わせが遅くてバラしてしまいました。 私も『アタリ!』の言葉が出るのは、自分が合わせるタイミングなので少し遅いようです。 自分が釣る時よりも真剣に見るラインが、また不自然な動きをしました。 『アタリ!』と言うタイミングが遅かったのですが、かかりました。


[T部長のテンカラ初釣果!!]

やはり合わせが遅かったのか、あまり毛バリでは見られない、毛バリを飲み込んだ状態になり、キャッチ&リリース券だったのでハリスを切ってリリースしました。 ここからがT部長の独壇場でした。 周りがあまり釣れていない状況で、ひとり釣りまくってます。 アタリも自身で分かるようになり、テンカラの楽しさを理解いただいたようです。 T部長の大漁釣果と、テンカラを楽しんでくれたことに、私も大満足させていただきました。



昼食はもちろん廣瀬屋旅館さんの焙り豚バラ丼の大盛です。 T部長にもお勧めして、二人共満腹でした。 食事をすませたら、T部長を玉川キャンプ村さんにお連れして、私は小菅川源流へと向かいました。 小菅フィッシングビレッジさんでは、お昼頃には少し濁りが晴れてきたので、源流域は多少増水していても知れているだろうと、普通の短パンに足袋の軽装なスタイルで川へと降りました。 川を見ると予想と反して、水が高いだけでなく先週よりも早く流れてます。 とりあえず浅いところの渡渉を試みましたが、深さ膝下でも水圧の水しぶきにより、短パンの股下まで濡れて、恥ずかしい染みになってしまいました。 これは川を舐めているゾと、浅はかな自分に反省して、早期撤収しました。


[締めの蕎麦だけの写真でごめんなさい]

本日は久しぶりに廣瀬屋旅館さんに宿泊です。 いつもより早いチェックインをさせてもらい(いつもは遅くまで釣っているので…)、ゆっくり湯船に浸からせていただいてから、お楽しみの夕食をいただきました。 ビールは地元のクラフトビール、ファーイーストブルーイングさんのIPA樽生です。 廣瀬屋旅館さんの美味しい料理にも合い、お腹も心も満たされました。 食後は廣瀬屋旅館さんの若旦那との談笑を楽しみ、夜がふけていきました。

翌朝、これまた美味しい廣瀬屋旅館さんの朝食をいただいて、源流へと向かいました。 夜も降らなかったし水量も少しは減っているだろうと、降り立った川を見たら前日と変わらない水量と流れがありました。 しかし、前日とは装備が変わりウェーダーを履いています。 そして早い流れの渡渉から始めました。


[すごい流れです!?]

流れが早いとポイントは絞られます。 しかし、流れの緩いところはほとんどありません。 とりあえず際を中心に攻めましたが、反応が全くありません。 釣れる気配が無いまま遡行を続けると、倒木により迂回を余儀なくされました。 迂回のために一時畳んだ竿ですが、先を見ても次の良さそうなポイントが見つかりません。 もう心が折れている私は、この流れの川を戻りたくなく、崖を登って道路に出ました。 その後、前日に放流したと言われたC&Rに行きましたが、もっと流れが早くてヤル気がおきず、約束の時間より早く玉川キャンプ村さんのT部長の元に向かいました。



約束の時間より1時間早くお迎えに行った玉川キャンプ村さんでは、のんびり朝の一時を過ごしているT部長が、私のデリカわを確認するとビックリの様子です。 理由を説明して、まだゆっくりしていて欲しいと言っても、T部長は片付けを始めてしまいました。 そして予定より早いチェックアウト、荷物をまとめて帰路へとつくのでした。


[必ず寄りたい道の駅こすげ]

長い梅雨が明けた週末でしたが、梅雨の長い降雨の影響により増水した川河…。 全く太刀打ちできませんでした。 唯一の救いが、T部長がテンカラを楽しんでくれたこと、コンディションの悪い中で爆釣してくれたことが、嬉しい結果でした。 覚束ない教え方で、よく釣ってくれましたと感謝してしまいます。 少しばかりは、教わる側の気持ちと言いますか、初めて毛バリで釣れた気分を思い出させていただきました。 おそらく次回も「私をキャンプに連れてって3」もあることでしょう。 少しづつでもテンカラの魅力を理解いただくと共に、私のテンカラを教える経験も上げてもらえると確信して、小菅村を後にしました。

その後、T部長を送って帰宅したのがお昼過ぎです。 自宅でランチを食べて、床屋さんへも行くことができました。 早く帰ったのは、時間を得した気分です。 充実した時間を過ごすのは、心の贅沢ですね。 どんなに充実してても楽しくても、苦しくても悲しくても、得した気分と同時に時間だけは誰でも平等だと改めて感じました。 平等であれば、時間を得したと思える充実した時間を多く過ごしたいですね。 それは自分の心の持ちようだと、不惑半ばを過ぎた、中年小僧が呟いたとさ…。





テンカラ万歳!!





  
タグ :山梨釣行

Posted by タツおう at 21:24Comments(2)自然渓流管理釣場