ラバウル戦線異常なし

タツおう

2020年08月17日 00:24



今回は、テンカラも釣りも渓流も、全く関係が無い書き込みになります。

第二次世界大戦時の司令長官が書いた「ラバウル戦線異状なし」と言う本を少し前に購入しました。 絶版本のため、中古本をAmazonで買いました。 きっかけは、「ゲゲゲの鬼太郎」等の著者である水木しげる先生のニュースの記事を見た際に、水木しげる先生が戦時中にラバウルに行かれていたと知ったからです。 その記事を見て、私の若い頃の記憶が甦りました。



私は現在、四十路を半分越えた程度なので、当然のことながら戦争の体験はありません。 終戦50周年、今から25年前の終戦記念日は、当時勤めていた会社の事務所に出勤していました。 当時に勤めていた会社には、戦後の高度経済成長期を第一線で指揮を取り、一度引退された方々を再雇用する、いわゆる「天下り」の方々がいらっしゃいました。 その終戦50周年の終戦記念日には、戦時を生きた方々が、終戦時に何処にいたかが話題になっていました。 ある方は『赤紙が届き九州の方にいた』とか、『まだ小さく満州から母親と逃げていた』とか、私には学校の授業で教わった単語が飛び交っていました。 そして最高齢の方が『私はラバウルでした』と言いました。 その方は、終戦時に当時の私と同じくらいの年齢で、指揮官をされていたと話してくれました。 その時、私にミサイルの避け方を教えてくださると共に、当時も絶版だった「ラバウル戦線異常なし」が見たいと話しました。

その方には、ミサイルの避け方だけでなく、いろんなことを教わり可愛がっていただいた私です。 必ず見つけ出しましょうと約束しました。 それからは、仕事の外回りでも、古本屋を見かけると必ず聞いてまわり、休日には神田の古本街をローラーをかけたりもしました。 しかし、みつけることができませんでした。 何処を見てもみつからず、仕方がなく図書館を見ると、その本がありました。 返却をしなければいけない本ですが、その方にお見せすると涙ぐんで本を受け取っていただき、返却日いっぱいまで読まれていました。 そして巻末の、ご自身の名前も記載された「ラバウル海軍主要職員(終戦時)」と書かれた名簿の部分のコピーをとられて、『これは自分の墓へ一緒におさめてもらう』と言いました。 その言葉を聞いて私は、購入はできなかったが見つけることができて本当に良かったと、とても嬉しい気持ちでした。

時が流れて25年。 ネットのニュースで読んだ水木しげる先生の記事を見たことで、その当時の記憶が甦り「ラバウル戦線異常なし」を読んでみたいと思いました。 当時の探した苦労は全く無く、スマートフォンで簡単に見つけられ、翌日には自宅に届けられました。 本を読みながら、私が当時の会社を辞めてから連絡を取っていない、その方が元気でいらっしゃることを祈りながら、このような方から教えを受けたこと、可愛がっていただいたことを誇りに思いました。 そして、この事を胸に、これからも一日一日を大切にしながら、頑張っていこうと心に誓うのでした。



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